過去はいつも能天気

2020.11.24

新型コロナウィルス感染拡大が止まらない。

世界では感染者数が6千万人に迫る勢いです。日本では、5月25日に緊急事態宣言が解除されて半年、秋には落ち着いて平穏が戻ると信じていた期待が外れてこのありさまです。もうこれは本当に「自分の身は自分で守る!」陳腐な言いかたですが、シンプルにそう思います。いつも状況が悪くなると政府批判が激しくなりますが、何も事態は好転しません。

問われているのは何か?

以前、解剖学者の養老孟司さんが、「自然は答えだ。こういう答えが出たということは『何が問いだったのか』を考えるべきである」とおっしゃっていたのを思い出しました。新型のウィルスがなぜ発生し、感染拡大はいつまで続くのかの問いは専門家にお任せするとして、何事においても「これは何を問われているのだろう」って、日々目の前で起こる結果を見ながら考えるということが必要です。

例えば、父と私の関係。父は私を経営者として相応しくないと弾劾した。それが答えです。「父が私をクビにした。これからどうすればいいんだろう」じゃなくて、「何ゆえ私をクビにするに至ったんだろう」ということを考える。

過去に何を問われていたのかを考えるということは、つまり現在と向き合うということです。現在というのは過去の結果で、未来というのは私の頭の中にしかないわけですから、出来事はすべて未来を示唆しているのだと先のことばかり考えるよりも、過去の問いに思いをはせて、現在と向き合う方が健全な考え方だと思います。

父が私を解任した。そのことから、今までの彼と私との関係のなかで問われていたものは何なのだろうか、と考える。それはつまり、父という経営者を考えるということです。問いに気づいた時はいつも手遅れです。人生ってほとんどそういうことですよね。

じゃあ、先回りして問いを自分で作ることはできないのか?と思う人もいらっしゃるでしょう。生身の肉体と時間の流れは、私たちにそれを許してくれないものらしい。

 

過去はいつも能天気

過去の自分を振り返ると、「ああなることも知らずにバカだった」とか、「こうなることも知らずに能天気」だった。少し先を想像すればわかりそうなことをなんでわからなかったんだ、と思うこともありますが、それは現在から過去の自分を見ているから思えることであって、だから「過去はいつも能天気」なんですね。言い方を変えれば「現在は常に問い知らず」になります。結果が出るまでは、問いが何だったのかわからない。目の前に結果が出て、ようやく問いに気づく。もうこれはしょうがない。人生てこういうことなんだ、と割り切って考えるしかない。

そう考えると生きづらいと思いますが、その方が先回りして正解を出そうと努力するより建設的なのかもしれません。先回りの正解なんて、そもそも正解、不正解なんて答えが出てみないとわからないわけですし、「失敗という答え」を提示されたとしても、失敗に至る問いを考えていく方が回答率が高まる、ような気がします。