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源氏の失敗に学ぶ

実力のなかった後継者源頼家はその家臣の北条家に将軍の座を奪われます。

平氏との闘争に勝利した源氏は、政治の実権を握ることになります。日本史上初の武家政権である鎌倉幕府は、141年間続きました。しかし、源氏が将軍職にあったのはわずか20年間。3代で終わりを遂げました。さらに言うと、将軍として機能したのは初代将軍の頼朝だけでした。その頼朝も、将軍職にあったのは1192年から1199年までの8年間。源家の失敗から事業承継を学べるところは多くありそうです。

頼朝が急死

失敗の要因の一つとして、二代頼家(頼朝の長男)には承継期間がなく、将軍としての権力や権威が備わっていないまま継承しました。つまり後継者教育が施されないまま将軍職に就いたことが、独断で振る舞う彼の行動に、家臣であった北条氏に疎まれる結果を招きます。

頼家は1182年生まれですから、源平争乱の末に1185年に平家が滅ぼされた時はまだ3歳の幼少でした。そして、物心ついてからは権力者の跡取りとして育ちました。そんな彼が、父頼朝の急死によって、若くして18歳で将軍職を継ぐことになったのです。
それもスタートしたての鎌倉幕府、しかも何百年と続いてきた公家政治に終わりを告げ、初めて樹立した武家政権のトップに祭り上げられたのだから、ただの飾りものになってしまうのは仕方のないことです。

そういう意味では、父親の偉業を直接自分の目で見て、将軍としての責任や権威と権力の実績をじっくり築き、その事業を次の代に忠実に伝えた室町幕府の二代・足利義詮江戸幕府の二代・徳川秀忠とは大いに異なります。

親族争いが勃発

また、トップの急死という避けられない要因もありますが、長期の政権維持といった戦略がなく、頼朝が急死したあと、肉親同士で殺し合いをしてしまったことです。

二代目の頼家は母親の実家によって殺されます。三代目実朝(頼朝の次男)を暗殺したのは頼家の長男です。その後、頼家の長男は北条氏によって討伐され、頼朝の系譜はここで途絶えます。血の結束を強くしないといけない時期に一族内で争ってたのでは、目も当てられません。

誰か親族内で中心になって、話をまとめる人物がいなかったのでしょうか。こうした事態が悪化して、初の武家政権は三代しか続きませんでした。こんなお家騒動を脇目に、虎視眈々と次の時代を狙っていたのは、言うまでもなく家臣であった北条氏です。政権奪還に成功し、初代の北条時政から高時まで14代を数えました。

後継者の権威を補強する

群雄割拠の武家社会は実力社会ですが、世襲で後継者が選ばれるというのは矛盾しています。実力主義で選ばれたリーダーは、
それが武力であれ、人徳であれ、「選ばれた者」としての権威性があります。

しかし、世襲によって、権力の座に就いたものは、形だけの存在になりがちです。創業者の精神は次第に受け継がれなくなり、神輿の上に担がれるだけになってしまいます。

そう考えると先代の責任は重いです。一族の体制を維持しようとするなら、自分が健在なうちに何をすべきか、何を残すべきかを明確にし、後継者育成を図らなくてはいけません。

同時に、後継者を中心にした次世代の管理体制をつくらねばなりません。それによって、継承された後継者の権威性を補強することができるのです。もちろん後継者も先代の恩恵に預かることなく、周囲が認めるだけの実力をつける努力は怠ることはできません。

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