スチュワードシップが繋ぐある酒蔵の光りと影

2020.06.24

サラリーマンの家族であれば訪れていた平穏な幸せも、同族企業には平穏な幸せも
究極の犠牲を強いられる事もあります。



獺祭(だっさい)で有名な山口県岩国市の朝日酒造株式会社もその一つでしょう。

山口県の山奥にあるローカルな酒蔵に過ぎず、紆余曲折を経て美味しさにこだわる
新たな銘柄として獺祭を立ち上げ、販路を全国と海外に広げます。

しかし、ここまでの歩みはイバラの連続で同族経営の厳しさや先代を否定して進む
困難さを乗り越えてきました。


現会長の桜井博志氏の事業承継はかなりのレベルのハードランディングです。


先代経営者(父親)と後継者(息子)にありがちな経営方針の対立ですが、
父子の対立から成功までのストーリーが並大抵ではないので紹介したいと思います。


駆け出しのころ

桜井氏は幼少の頃から、家業と生活は一体でした。

酒蔵の長男として生まれ、周囲からは当然のように次期後継者とされていました。

大学卒業後は兵庫県の大手酒造会社を修行先として選び、3年勤めて家業に戻ります。

しかし、この頃、日本酒市場は長期的な低迷に苦しんでおり、それでも父は従来の手法と
販売方法を固辞し旧来のやり方を変えることはしなかった。

桜井氏は父の言われるがまま、ひたすら酒販店を回り、売り歩く日々が続きました。



対 立

入社から数年がたったころ、以前の修行先の酒造会社の経験からやはり父の経営はおかしいと
その経営方針に疑念を抱くようになり、

些細なことから口論になります。

やがて激しい言い争いになり、とうとう父より会社を追放されることになります。

採石場を経営する親戚が、いったんは桜井氏を預かることになります。

推測ですが、親戚には父の方より将来は戻すという条件付きで預かってもらっていたのかもしれません。

そこで桜井氏は石材卸会社を設立し、新事業を立ち上げます。

自分で起こした事業は順調でした。

順調の裏では、事業で生じた父子のわだかまり蓄積されていきます。

親族でいったん亀裂が入ると修復は簡単にはいきません。

袂を分かった日を境に、つきあいが一切なくなり、盆も正月も顔を合わせることがなくなりました。



復 活

数年たったのち、父は桜井氏を預けた親戚を通して関係の修復を依頼してきました。

この時の父の気持ちは複雑でしょう。

父としてのプライドもあり、一度自分で我が子を追放しておきながら戻ってきてくれと
拝むかたちとなるのは雪辱に耐える他ありません。

しかし、桜井氏はこの要請を断るのでした。

さらに数年後、今度は父から直接息子に復帰の要請をするのでした。

この直接の呼びかけに、心が動いた桜井氏は石材卸を経営しながら
酒蔵を手伝うかたちで家業に再び戻る決心をするのでした。

ここで、再び対立が勃発します。

以前と全く変わらず、経営方針や営業方法を変えようとしない父がそこにいました。

そして、桜井氏は2ヶ月足らずで酒蔵を離れます。

さらに数年後、父が重病のため死期が近づいたと感じた時、改めて直接復帰を求めたのです。

それでも、父の余命が幾許も無いことは知ってはいたが受け入れる事を拒否したのです。

その半年後、父は後継者不在のまま息を引き取ることになるのです。

父子の対立は最後まで解けず親密な関係に戻ることはなかった。

プライドもかなぐり捨てた父の繰り返しの復帰要請を拒み続け、
父亡き後受け入れることになるのです。



自殺未遂

復活を果たした桜井氏ですが、
感慨にふけっている余裕はありませんでした。

清酒市場の縮小は進み、地方の中小の酒蔵は軒並み倒産という危機に直面します。

売上げは急減が続き、もう限界だった。

そんな中、社内の親族たちは新経営者の桜井氏に冷ややかでした。

社員の士気は低く、否定的で毎日孤独な日々が続き破滅との危機感と恐怖感に支配されていきます。

しかし、家業を守るのは自分の使命と言い聞かせ事業の改善に取り組みます。

紙パックや値引き販売などに挑戦したがどれも失敗に終わった。

それでも、うまさにこだわり、販路を全国に広げるなどジリ貧の中でも必死で頑張った結果、
口コミで広まり、知名度や評判は次第に高まっていき、売上も徐々に伸ばしていった。

今度は売り上げを伸ばすために地ビール製造やレストラン経営に触手を伸ばすが、
これが失敗に終わった。

いつしかうつ状態になり自殺も考えた。


成 功

会社の変調に気づきはじめた、酒造りを統括する杜氏が酒蔵を去りました。

桜井氏はこれを機に酒造業界の伝統と常識を破ることを決断します。

徹底した数値管理に基づく社員による酒造りへの転換に踏み切ったのです。

これが全国でも珍しい通年での醸造につながり、国内にとどまらず、海外にまで販路を広げ、
現在は銘柄を獺祭一本に絞り、事業は拡大していきます。


信 念

失敗続きでも頑張れたのは、酒蔵の息子として生まれ家業への愛着だと桜井氏は語ります。

失敗を繰り返しながら独自の事業モデルにたどりついた桜井氏はこう語ります。

「父の言うことを聞いていたら今の形にはなっていないし会社は残らなかった。」


また、同族経営には厳しさや関係が近いものどうしという事が仇になる事も多く、
リスクもあるが、強みもあるのだと語る。

海外に販路を広げた結果、同族経営が信頼の証になるという。
しかしファミリーは逃げないことを彼らは知っている。
ブランドを磨くにはファミリーであることが強みになる。
サラリーマン経営者だと何かあったら逃げるかもしれない。  
と桜井氏は語ります。 



スチュワードシップが繋ぐもの 

父の生前は戻らなかったのに復帰を決意したのは、 
「酒蔵は家業。プライドも何も全部いっしょにくっついてくる。だから酒蔵がしたいと思った」 
と桜井氏は振り返っています。 
これは、幼少期から酒蔵の長男として家業と生活が一体になった記憶が深い部分で繋がっていた
のだと思います。 

まさに、これが同族経営のスチュワードシップではないでしょうか。                         
                        

                               出典:あの同族会社はなぜすごい                                     
                                         中沢康彦著